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学校のできごと
九小がなぜ九小か②
明治33年。西砂川小学校になりました。
正式には「西砂川尋常高等小学校」
流泉寺から、今の地に学校が移りました。
子どもは260人。今の半分くらい。なのに教室は
4つ。教員は5人だったそうです。
この時の開校式は、花火が次から次へと打ち上げら
れ、やぐらが建ち並び、色のついた煙や爆竹が鳴る
などお祭りさわぎだったそうです。
その日から120年。流泉寺時代から
数えると148年。
今月の学校だよりにも、校長先生が、
このことについて書かれています。
お読みください。(門の近くにも
貼ります。)
校長先生が見つめる中、にこランを
する風景。代々たくさんの子どもた
ちが、校庭を走りまわった、九小。
今日も、同じです。
11月最後の給食。かにチャーハン、
ホキのチリソース、春雨スープ、牛乳。
かにチャーハンに使われているかには
「ズワイガニ」だそうです。オスの方
が、おいしいそうです。旬は11月~
1月です。
九小がなぜ九小か①
今朝は初霜でしたね。農地の地面が
キラキラしていました。手袋をこの
冬初めてしたくらいです。
とはいえ子どもは元気。
少し見習わないとね。
今朝の朝会。校長先生のお話。
「1872年(明治5年)に流泉寺というお寺の境内に
西砂川小学校ができました。148歳になったのは、
この年から数えたからです。
1900(明治33年)に砂川に2つの学校ができました。
一つは7月に今の八小。もう一つが11月27日に今の九
小が、この場所にできました。砂川ではこの2つの学校を
砂川の学校の始まりとしていました。だから、当時は今の
八小の方が、先にできた学校とされていました。
やがて学校の名前が変わり、今の八小が砂第一小
学校に、九小が砂川第二小学校になりましたさら
に立川と砂川が合併して、今の立川市になりました。
それまで立川にあった学校が、一小から七小になり、
砂川にあった砂川第一小学校が八小に、砂川第二小
学校が、九小になりました。
九小は九番目にできた学校という意味ではありませんが、
砂川と立川の歴史の中で、名前が変わっていった中で、
第九小学校という名前になっています。
第九小学校の歴史は、明治5年から始まっているので、
148年目ということになります。」
校長先生のお話に、時の流れを感じます。
明治33年の頃の校舎。小さいし、校庭も
狭いですね。でも、明治33年11月27日
の、開校記念日には、大賑わいだったそうです。
東京府知事(今の都知事)もいらしたそうです。
ここから第二期とも言うべき第九小学校が、
展開されます。
九九・体育片付け・麦 (おまけつき)
2年生、九九の学習が、全部の段を終えた
そうです。これからも、九九とは長いつき
あいになりますね。冬休みの宿題になりそ
うですね。
子どもの頃、ドリフタ-ズの『全員集合』で
「二九は いい肉 上カルビ」
「二四がこっちで 東はあっち」
などとくだらない学校コントがあって、そっ
ちが頭に残ってしまい、本当の九九を覚える
のに苦労しました。
中学になって英語でも「I my me」を
「アー、メー、マー」とか言ったので、男子
はみんな暗記に苦労しましたよ、志村さん!
当時の番組の影響力恐るべしです。
暗くなるのが早くなりました。電気を消すと
夕方5時台でも真っ暗です。
おや!・・・(いい加減にしろと言われそう)
3年生の体育の最後、マットや跳び箱の
片付け。みんなで協力して安全に。
声を掛け合っていて素晴らしいです。
跳び箱の1段目は別に運ぶ。台車には乗らない
など、きちんと守られていて感心です!
九小では、みそ・野菜・和太鼓が市内でも有名
ですが、お隣の松中小学校では、麦の活動が有
名です。今回収穫した麦でお菓子を作り、
「みのーれ」で販売中です。この説明文がまた
素晴らしく、何度も読んでしまいました。
期間限定販売だそうです。
とても、おいしかったです。
松中小学校には、以前に4年間勤務して
いました。その縁で、このプロジェクト
を教えてもらいました。
市内の学校は、それぞれの特色を生か
した教育活動を展開中です。
【おまけ】
おーレトロ。乾物屋さんですね。卵はこ
んなふうにして売っていましたね。
ここは、江戸東京たてもの園。昔の建物を移築
しました。見学できます。
千と千尋の神隠しの温泉は、道後温泉などがモデ
ルだそうですが、この銭湯も参考にしていると言
われています。足立区は千住にあった「子宝湯」。
なつかしい。これですね。
これまた風情のあるたてもの
右は神田の花市生花店。
左は神田の文具店武居三省堂。
どちらも昭和2年(1927年)
建築。左の三省堂に入ると・・。
この昔の文具屋さんの部屋を見て何かを
思い出しませんか。ヒントは左の棚・・。
第2ヒントは、やはり『千と千尋・・』です。
答えは・・・!
釜爺のボイラー室でした。
この部屋のモデルらしいです。
宮崎駿さんは、当時よくこのたてもの園を
見に来ていたそうです。
【おまけ】おわり。
あしあと
まるで、多摩動物公園のような、
動物のあしあとが廊下に。
これはキリンですね。
これはシカ。代表委員会が、廊下を走ら
ないよう、廊下の右側に作りました。
とても楽しい、でも大事なお仕事です。
くわのみ学級恒例の、大きなボールでの
転がしドッチボールです。
赤対白の試合が終わり、残った時間で先生方と
対戦。このうれしそうな顔。さらにあてる先生
方も、笑顔で楽しんでいましたよ。
あと少しで、中休みのにこランの取組は
終わりますが、体力をつけて抵抗力を高
めましょう。
楽しんで走ってくださいね。
こちらは高学年のハードル走。ハードルと
ハードルの間隔を選べるようになってます。
やっぱり高学年は力強い!
金曜日の、音楽鑑賞教室。なんと、アンコールで
「天国と地獄」(運動会などでおなじみの曲)
で、このお二人が体育館を右から左、左から右
と、お馬さんのように走りながらの演奏。
このようなところどころ笑える工夫もちりばめ
られていました。
最後に6年生の演奏を、聴いてただいたことは
お伝えしましたが、音楽室では密にならないよ
うに練習しています。そのためなんと初めて、
合同で演奏したのです。なのに、うまくいきま
した。でもさすがに音楽専科の先生は、修正す
べきポイントをいくつか見つけました。きっと、
今週から練習を重ねることでしょう。
もっとびっくりしたのが、この言葉を話した
二人。紙を見ないでしっかり言えたので、
先生方によかったですと話したら、なんと、
二人は一日で(つまり当日)覚えたのだそう
です。よくやりましたねえ。
6年生のこれからの活躍に期待が高まります。
さっきのあしあと。なんと人間のあしあとも。
ちゃんと誰のあしあとか名前が書いてありま
す。ヒトも動物ですものね。2学期はすこし
ずつ行事が増え、学習もいろいろできるよう
になりました。火曜日から12月。今年度も
あと4ヶ月。子どもたちは、どんな足跡(そ
くせき・あしあと)を残すのでしょうか。
土曜授業日③
くわのみ学級で、こころかるたという、
楽しみながらの、学習です。坊主めく
りみたいにカードをめくると。
例えば「休みの日には何をしますか」と
書いてあると、めくった人がそれについ
てお話しします。
「副校長先生もやって!」誘ってくれた
のですが、用事があって次の機会に。
その時のカードは「好きな人は誰ですか。」
めくった男の子は、くわのみのお友だちや、
帰省したときに遊ぶお友だちのことを、話し
ていました。
私がカードをめくらなくて、よかったです。
今日は土曜日なので、ニワトリ小屋開放を
サボろうとしたのですが、職員室まで来て
くれて、「小屋を開けてください!」と
言われては重い腰もあがろうというもの。
よく来る子どもたちは、抱き方が上手に
なってきましたよ。
いくら何でも慣れすぎている!
鷹匠みたいです。こんなにおとなし
くなるなんて、ニワトリの扱いに本
当に長けてますね。
(次は夕方、廊下の謎を配信予定!)