日誌

学校のできごと

人より鳥が多い学校


正門です。今年もよろしくお願いします。


南門です。とても寒かったけれど、青い
空ですね。

正門横の蝋梅(ロウバイ)は、もうすぐ黄色い
花が咲きそうですよ。

冬の寒さにも耐えて、伸びている芝生です。


学童保育所以外には、子どもたちがい
ないのをいいことに、校庭にはたくさ
んのカラスが飛んでいました!

くわのみ環境境整備員会が、うえてくれた球根は
もうつぼみが出そうです。

人がいないと思って、大胆なスズメたちです。
ここはにわとり小屋なんだけどな! 

茶色のめんどりがどんどん大きくなって、
リーダーのクロコも圧倒されることがあ
るくらいです。ムクドリなど他の鳥もい
て、人間より多い、バードウオッチング
学校のようです。

富士山も真っ白です。冬の晴れた日は教室から
こんな姿が見られますね。

北校舎裏にある①小安傳校長先生の碑。
②2040年に開けられる、立川市の
タイムカプセル。今ここは目立たない
けれど、かつてはこの付近が正門でした。

続々と、ドリルやカラーテストが届い
ています。ヒヒヒ・・・。

クラスごとにまとめてあるこの紙は・・・・。


雲花紙(雲華紙)・・・うんがし。ふすまの裏によく
貼ってある丈夫な紙。もちろんこれは襖ではなく、書
き初めの作品を貼りますね。またこれが、習字や硬筆
の黒い字があうんだよなあ。

【おまけ】
こ、これは、もしや・・・・。分かる人には分かる、
私事ですが、3年間の七夕やサンタに捧げた長編物
語に終止符を打つときが来たようです・・・(涙)。
続く(かな)?

和太鼓クラブ・終わりの言葉 


和太鼓クラブの発表です。ポーズが決まって
いますねえ。

和太鼓クラブの、レパートリーの中から今日は
秩父屋台囃子を行います。
全員が座ってるのは、このお囃子は本来屋台で座って
演奏するからです。

太鼓の人達の格好いいたたき方。でも腹筋や背筋をつか
いますね。大太鼓と締太鼓の見事な、演奏です。

【和太鼓クラブについて】
和太鼓クラブは130周年の時に、和太鼓を演奏した
ことがきっかけで始まりました。ですから来年度20年
になりますね。以来週三日朝練をして、地域のお祭りや
学校の演奏を頑張っています。ご時世でなかなかお祭り
等に出られないのですが、めげずに一生懸命練習してい
ます。写真は10年くらい前の、お祭りです。
たぶん、この写真も秩父屋台囃子ではないでしょうか。
九小と言えば、和太鼓・みそ・花や野菜お米・にわとり
(最後はうそ)で有名です。150周年でも、ぜひ和太鼓
やお味噌などの、学校の特色を出せるといいですね。

【終わりの言葉・6年生代表(一部略)】
「学習発表会はどうでしたか?」(場内から
「楽しかった」「もっと観たい」などの声)
5・6年生は最後の学習発表会です。思い出に
残る学習発表会にしようと頑張り、セリフを大
きな声で練習しました。

うまくいった、いかなかったではなく、頑張っ
たことが大事だと思います。これからも協力す
ることを大事にしたいです。卒業まで4ヶ月
(当時)。残った時間を大事にして頑張ります。
みなさんも頑張りましょう。
(体育館はわれんばかりの拍手。心に残る
 終わりでした。)

これが、西砂川尋常高等小学校。今より校舎も
校庭も狭いですが、お祭りのにぎわいの式典だ
ったとのこと。3教室が尋常・1教室が高等。
ちなみに開校式の11月27日が開校記念日に
なりました。さらにこの年から初代校長先生の
小安 傳先生が着任されました。それまでは、
校長先生はいらっしゃらなかったのです。

昭和34年に、6年生の発表にあったように、
校章ができました。砂川ゆかりのくわの葉に
当時の校名「西砂川」の文字を図案化したも
のです。「くわのみ学級」の名前もこのくわ
に由来しています。

校歌はその前年、昭和33年、完成しました。
作詞:古関吉雄先生(朝ドラ「エール」の主
    人公だった古関裕而先生の従兄弟。)
作曲:岡本敏明先生 の有名なお二人。
当時の砂川町の補助金では足りず、PTAのお力
で廃品回収などを行い完成した校歌です。
音楽専科の先生が、音楽室にあった楽譜を見付
けたら、「二部合唱」になっていたそうです。
大発見ですね!またよく楽譜も残ってました。
今回、6年生が最後に歌ったのも、この二部合
唱の校歌でした。(美しい!)卒業式では、さ
らに磨きをかけて、校歌を歌ってくれることで
しょう!
(三番の最後が、今と違います。今は、立川第
九(く)小学校 です。)

本番10日前の様子。4年生「九小の壁」、
このあとどんどん変更されていきましたね。

特に高学年は、自分たちでも工夫して
演じていました。
とっくにお気づきかと思いますが、今回の台本
は全て九小の先生のオリジナル。また、照明・
音響・大道具・など、教職員一丸となって行い
ました。もちろん主役は一生懸命頑張った、
子どもたちです!!
無事開催できて、本当に良かったです!

プロジェクト9 (6年生)


いよいよ6年生。
「プロジェクト9」~九小ができるまで~
です。写真がピンぼけのもありますが、
新年に免じてご容赦ください。

ああ、ねむいなあ、今日も学校かー。
おいおい、遅刻するよ-!

おじいさんとおばあさんが登場。どうやら
九小の、砂川地域の大先輩のようです。
「なんで九小がここにあるのか教えてやろう。」
お二人が呪文を唱えると、一気に江戸時代へ!!

江戸時代は、寺子屋がありました。読み・書き
などを教えていました。おかげで当時の日本の
識字率(字が読み書きできる)は、10人中な
んと、8から9人。イギリスでさえ、当時10
人中2~3人だったので、外国の人はびっくり
したそうです。寺子屋のおかげですね。


明治時代の砂川地区です。なんと神奈川県砂川村。
一時期神奈川県に入っていたのですね。明治5年に
「学制」が発布されて、この地にも学校を作る動き
が・・・。ところで、

当時この砂川の地で、大切に育てられていた
昆虫は何でしょう。
①カブトムシ ②チョウ ③ガ(蛾)
正解は、③。この地域はえさの桑畑を作りカイコ
を育てて、糸を作っていました。今でも九小の、
校章にくわの葉があるのは、このためです。

いくら「学制」と言われても、子どもたちは
大事な畑仕事などのお手伝いもしなくてはい
けません。農民たちは反対の人が多い。
「えー、学校に行かないで、仕事をしなくて
 は、いけないんだー。」
左奥の子どもたち、作戦を考えます。

学校を作る作らないで、大もめです。
(この演技も迫力がありましたね)
校舎を建てる資金も授業料もみんなで
出し合うのですから・・・。
でも子どもたちの説得で、学校はできる
ことになりました。流泉寺の境内の中に
西砂川学校という名前で始まりました。

やがて子どもたちの数が増えて狭くなり、
今の地に学校は移ります。何年前でしょう?
正解は①121年前!

西砂川尋常高等小学校と改名。尋常(普通)の
教室が3教室。高等の教室が1教室でした。
さて、1900年(明治33年)11月27日に
新校舎完成の式典が行われました。

その式典で行われたのはどれでしょう「。
①東京府知事が来校した。(小池都知事が来校
 するようなことですよ)
②花火が打ち上げられた。(明治33年ですよ)
③お店が並んだ。(学校のそばの農道にですよ)
 正解は・・・なんと全部!祭りのように盛り
あがったのだそうです。

へえ、昔の人の思いが詰まっている学校
なんだね。そろそろ2021年に戻ろう!

「あれー、おじいさんやおばあさんは?」
「何を言っているの、そんな人はいないよ。」
どうやら、おじいさんおばあさん、みんな夢の
中の出来事だったのでしょうか。
「チャイムが鳴ったよ!今日の授業は何だっけ?」
「150周年に向けての、校歌の練習だよ。」

そして、きれいな歌声で、6年生の校歌の合唱です。
なんと『二部合唱』の見事なハーモニーです。この
お話はもちろん架空のお話ですが、もし当時の先輩
方が、この学習発表会を見たら、びっくりしてくれ
ることでしょう。

(和太鼓クラブ・終わりの言葉・大事なおまけは、
 次回に続く。)

九太郎伝説① 5年生


いよいよ高学年。5年生は
「九太郎伝説」です。桃太郎を基に
新しいお話です。

おじいさんは玉川上水の方へ芝刈りに、
おばあさんは残堀川へ洗濯に・・・。
ところが残堀川に水があまりありません。
そこはとんちで無事に解決。

ある日、九小のめんどりが変な声でたまごを
うみました。(良くニワトリが登場しますねえ。)

だいじに温めていたら、ひよこではなくて、
元気な男の子が生まれました!九太郎と名
付けられました。

九太郎はスポーツ万能、勉強もできるし、
人気者でした!女子から熱いまなざしが!

九太郎はおじいさんやおばあさんお話から、こんな
鬼ヶ島を想像していました。いよいよやっつけに行
くことになりました。

そこで、おじいさんとおばあさんから、「きびだんご」
ではなく「きりたんぽ」をもらいました。九小の5年
生が大事に収穫した「九小米」から作り、「九小味噌」
で食べると栄養満点です。いよいよ出発です。
(以下続く)
【訂正】
孫悟空たちが、流泉寺で手に入れた物は、「お経」
です。「カギ」の分けがありません。どうかしてい
ました。直せるところは直しましたが、写真だけ許
してください。

九太郎伝説②(5年生)「


九太郎は立川駅に向かいます。外国の方と会っても
ALTに鍛えられた英語を駆使し、解決します。


立川駅近くでは、スケボやダンスで盛り上がる
若者がいっぱいです。

そして、九太郎はファーレアートと、
ボランティアのガイドさんに出会い
作品に驚きました。ところでお金が
なくなった九太郎、これでは鬼ヶ島
へ行けません。ピンチ!

するとそこへ、なんとドラえもんが助けに
来てくれました!水素の自動車が出てきま
した。

そして、船に乗り換えて鬼が島へ。あれ、このシーンは
有名なあの映画のワンカットのようです!

そう、以前九小の北側に大きな自動車工場が
あったのですね。ついに鬼ヶ島へ到着…?

なんと、鬼ヶ島ではなく沖縄の宮古島。
鬼ではなくカニがいたのでした。どう
やら、おじいさんがSNSで誤った情
報を、九太郎にも伝えたようです。

反省したおじいさんは、YouTuberになる
ことをあきらめました。3人とドラえもん
は仲良く暮らしましたとさ。
子どもたちから笑いの絶えない、楽しい発
表でした。
【つけたし】

残堀川の下を玉川上水はサイフォンの原理で
通っています。一度見るとなるほどなのです。

昼も見事ですが、夜の2つの川の交差
地点もかっこいいです。

ところが、大正10年頃の絵地図を見ると
残堀川が玉川上水の下を流ようですようで
すね。ここはもう少し詳しく調べないと、
わかりません。

ファーレアートは、立川駅北口に広がる
屋外展示型の芸術作品群です。5年生は、
毎年ここへ鑑賞に行きます。

発表にも説明があったのですが、この
広大な土地は自動車工場の跡地です。
九小の高学年は、この工場へ社会科見
学に行っていたそうです。この跡地に
何ができるのでしょうか。