日誌

学校のできごと

先週の九小から


学校公開の薬物乱用防止教室で、最後に「質問は
ありませんか?」という、司会進行の先生の投げ
かけに、次々と挙手した子どもたちです。やや難
しい内容の部分もあったのですが、時間切れにな
るほど子どもたちの質問は続きました。(4月27日)

校内を回ると、委員会の子どもたちのいいポスターに
出会います。委員会活動等の頑張りがうかがえます。
                 (4月26日)

一年生は平仮名の、学習が始まっています。どんな
順番で学ぶか分かりますね。全部一画です。でも
「つくし」が書けますね。学校公開の時には、「こ」
など、二画の文字も習い始めていました。「あ」
から始めたら、大混乱になってしまいますものね。
          (4月23日)

こんなにきれいな図工室は初めてです。改築から
日が浅いことを差し引いても、いいですねえ。

こんなさりげない工夫が、綺麗さの秘訣かも
しれません。       (4月26日)

今日からまた新しく!


屋上に国旗がはためいています。今日から令和元年。
午前中は晴れていました。また、新しい気持ちで、
日々を迎えたいですね。

玉川上水の分水が、流れています。農業や生活用水に
使われていたのですね。

玉川用水沿いを歩いていたら、すぐ目の前で
メジロ(たぶん)が雨宿りしながら鳴いてい
ました。近づいても逃げませんでしたね。

今回の目的金比羅山。金比羅橋の近く。記念誌によると
高さ15m程の小さな山。1860年(江戸の終わる頃)に
つくられたそうです。つつじが咲き誇っていました。

山の頂上にある、金比羅神社です。江戸時代に
富士山をお参りすることが流行して、あちこち
に小さな富士山がつくられたのだそうです。昔
はここから富士山がよく見えたのでしょう。

自動車がなかった昔、馬が大切にされ砂川にも
たくさんの馬がいたそうです。この馬を供養する
馬頭観音。記念誌によると、戦後の混乱で一度失
われたのですが、交通事故が多くなったので、昭
和47年に再建されたのでした。これからも事故防
止にお力を借してください。

何だそうか、左に曲がればすぐ武蔵砂川駅ではない
ですか。この小さな踏切も、味わいがありますね。

武蔵砂川駅北口は工事中で、大きく変わろうとしています。
交通の要になるのですかね。お店もできればいいなあと思い
ます。本屋とか居〇屋とか・・・って、コラー!

砂川の教育は・・!


あれ、何回もここを通ったんですが、今日初めて
気付きました。この塀の外に立つ大きな銀杏は、
きっと大事にされてきたのでしょうね。

近寄ってみると、ずいぶん大きな
木です。

今日は、流泉寺です。創立140年記念誌を
読むと、このお寺は1650年に開かれま
した。明治5年に流泉寺の境内に九小のも
とになった、西砂川小学校ができました。
役場や郵便局が置かれた時期もあったそう
です。

「砂川の教育ここにはじまる」と力強く
書かれている石碑です。ここから、九小
のもととなった学校教育が始まりました。
そして、児童数が増えた九小から、いく
つかの学校が分かれできました。砂川地
域の教育は、この石碑通りここから広が
っていったのですね。

エレベーター・屋上・踊り場


校内でまだ、見ていないところがありました。まずは
エレベーターです。車いすを利用する方や、足をけ
がした方も、3階まで無理なく行けますね。

ボタンのそばには点字の案内板もあります。これだけ
でも、福祉の授業ができそうです。初めて乗りました
が、静かにゆっくりと安全に、上り下りできました。

屋上も久しぶりにいきました。学区域を写そうと
思ったのですが、雨が強く降りました。しかも、
撮った後は、雨が弱くなりました。あーあ。

こうしてみると、農地や樹木が多く見られ、自然の
豊かな学区域。そして、新しい建物も建ち始めて、
町が変わっていくところと、昔から残っているとこ
ろと両方見られますね。町たんけんするのに見所が
多い学区域ですね。

学校公開で、確認された方も多いかと思いますが、
階段の踊り場には、各学年の活躍などが見られます。
これは、3年生のコーナーです。張り切ってしゃき
っとしている感じが見受けられますね!

たんけんぼくのまち 学区域北の方


連休であろうと、年号が変わろうと
にわとりさんたちは相変わらず、
ゆったりです。いろんな方がえさを
あげてくれています。

やはり、以前はここを通って、みんなで
登校していたそうです。九小を卒業され
た大先輩の方々が教えてくれました。

そしてこの道をまっすぐ行った
あたりに、昔は正門があったそ
うです。

今は御影橋公園という公園ですが、140周年の
記念誌に乗っていた写真では、ここは農地だった
のですね。

玉川上水のこのあたたりに、巴河岸があった
そうです。玉川上水を利用して船で人々を運ん
だことがあり、ここは乗り場だったとのこと。
でも水が汚れてしまったので、3年も持たずに
廃止だったなんて・・。でもこのことが、今の
中央線につながったのではないかとのことです。
        (140周年記念誌より)
まだまだ学区域には、探検しがいのあるところ
があるようです。記念誌も読み応えがあります。