日誌

2020年8月の記事一覧

もうすぐ2学期


毎日少しずつ、2学期のドリルやテストが
届いてますよ。うふふ・・・。

この学級目標は、縦読みで「よねんせい」
しかも文字は、一人一つと見ました。
いいですねえ。2学期も世界一仲良くね!

くわのみ学級のこのクラスは「元気でなかの
よいクラス」が学級目標。そして一人ひとり
の目標が。
「きれいなことばつかう」
「あいての目をみて話を聞く」
「ごめんなさいを気をつけていう」
など、いいですね。2学期も頼むね。

7月になって、俳句を作ったクラスも
多かったです。うまいなあ。

そうそう、この旗は今も使っている運動会の
優勝旗。昭和46年の卒業生の贈り物です。
反対側を見ると・・・・。

すごい、右から読めるようになっています。
今から約50年前の贈り物ですが、色鮮や
かですね。昭和38年・39年の、二年間
だけ立川市立砂川第二小学校という名前で
したが、その名前の資料・旗などは、今の
ところ見付かってません。

校歌・校章


昭和33年に校歌が作られました。62年前!
翌年の開校60周年のために作られました。

そうです、3番の最後は「ああ西砂川小学校」
でした。今は「立川第九(だいく)小学校」
です。とても歌いやすい校歌ですよね。

そしてこの校旗、今は「九小」校旗が
校長室にこのように飾ってあります。
当時は「西砂川」と書かれた校旗。
校旗も校歌も33年に作られ、翌年の
60周年記念式典でお披露目されたの
ですね。

そして、すごい!昭和35年にはプールがもうでき
たのです!しかも右奥にある小プールが、当時とし
ては珍しいことでした!校舎の様子と相まって、こ
れまた貴重な写真ですね。

記念誌によると、小プールのおかげで低学年から
水に親しめて、泳ぎの上達が早く、市内の先生方
の見学も多かったとのことです。ちなみに分校の
子どもたちは、バスを利用して泳ぎにきたのです。
往復は大変だったけれど、水泳の授業がある日を
楽しみにしていました、と記述されてます。
少しずつ、復興し前進している九小の様子が、
とてもうれしいです。
(明日に続きますが、今週で休止。冬休みに続き
をやるかもしれません。校長先生の一言アドバイ
スをいただき始めた九小探検。副校長の計画性の
なさをお許しください。でも調べれば調べるほど、
すごいなと思います。よくぞ資料が残っています
よね。)

激動の30年


昭和20年から40年は激動の30年間です。
6・3制の始まった昭和22年、本校は、東
京都西多摩郡西砂川小学校となりました。
これは、学校の校章。当時桑の苗を育てるの
が盛んだったこともあり、桑の葉をデザイン
したもの。いつ図案化されたか、誰の図案か
は不明。今は文字だけ「九小」になりました。
この時書き換えた「九小」の文字のデザインは
石上 泰三先生です。

この校章を入れていた、飾り枠が壊れて
しまい、時間をかけて主事さんに直して
もらっています。直したらきっと2年後
にお披露目ですね!色のおち具合が、年
代を感じさせる、大事な資料です。

これは、昭和20年代に作られた、運動会の優勝旗
です。年代物なのですが色鮮やかです。今年の運動
会でも、本部のところに飾って、みんなの姿を見て
もらいましょう。それからこの頃には、学校名が、
「北多摩郡砂川町立西砂川小学校」になっています。
世の中の様々な変化の一端を、うかがい知ることが
できます。
(中途半端ですが、この項は明日に続く。)

後一週間です!②


2階渡り廊下のオリパラコーナーは、スポーツ
だけではありません。これは世界の楽器の紹介
ポスター。都教委制作のポスターです。でも
A4の紙16枚でできているので、貼るのは大変。
SSS(スクールサポートスタッフ)にやって
いただきました。

これは、分散登校中に自主的に児童がまとめたもの
です。モンゴルの「ホーミー」というのどを使った
特殊な歌唱法。くわしくまとめてくれました。
YouTube等で見ると、「えっ!人間の出す声か?」
ときっと思うほど印象的ですよ。すごくきれいな字
で丁寧にまとめてあります。先ほどのポスターの横
に貼ってあります。見てね。

感染症と熱中症予防のポスターが目立つところに。
ニュースで明日は暑さが和らぐとのこと。期待して
よく見たら今日より4℃下がって33℃になるとの
こと。ということは今日は37度近くあったのです
ねえ。窓を開けているので、職員室もクーラーが今
日は効きませんでした。副校長が変な服装をしてい
たら暑さでイカれたとお許しください。
それにしても「33℃」で「和らぐ」とはいかがな
ものですかね。それくらい異常な暑さなのですね。
明日も気をつけて、けして涼しくはないですよきっ
と!

あと一週間です




土日の夕立のせいか、葉っぱがたくさん。
夏落ち葉というのでしょうか。主事さん
がたくさん掃き集めてくれました。

申し訳ありません。遅くなりました。8月のくわ
のみカレンダー。今年は自粛ですが、この版画の
夏祭りから、太鼓の音や、踊りの曲、笑い声など
が聞こえてきますね。

これも遅くなりました。「キラリ」の教室の
廊下を飾る、8月のポスターです。いかにも
夏の海ですね。丸い水平線に入道雲。素敵!

そんな中音楽室では先生が、zoomを使って
オンラインで研修をしていました。邪魔を
してはいけません。でも、オンラインで研修
ができるんだなあと実感。

さて先日の疑問に音楽専科の先生が、答えて
くれました。「あみこみ」とは、例えば合唱
でいつもソプラノが主旋律ではなく、アルト
に行ったり来たりすること。合奏でもありま
す。卒業式などの大きな曲にあるそうです。
主旋律を歌う人が入れ変わるなんて、Little
Glee Monster のようではありませんか。
そして、そんな複雑な演奏や合奏の時に、
横の楽譜だけでなく違うパートの縦の楽譜に
も心を合わせましょう。それが「縦と横」な
のです。ちょっと、感動しました。
運動会のゴーゴーゴーや校歌も心を合わせま
しょう!  続く!

天敵!路線バスの旅(おまけ)


先週の路線バスの旅は昨年の再放送でした。
今日は、新作。密を避けて路線バスではなく、
大型観光バスで、間を開けてます。

国立競技場から、阿佐ヶ谷で食事。そして我が
昭和記念公園のひまわり畑を見て、東京地球農
園がゴール。今日はゴールで無いから大丈夫で
しょう。ちゃんと立川を通ったら先週のオイタ
は許してあげましょう。

むむ、また食事の後寝てしまう徳光氏。
いいよなこれが仕事だなんて。スタッフ
もわざと寝かせている様子。またやな予
感がしてきましたが、次は昭和記念公園
だから大丈夫でしょう。

ところが、なぜかまたも府中市のボートレース
多摩川へ。そうだ徳光氏は競艇大好きだったな。

結果は、やはり昭和記念公園をスルー。
ふざけんなよ!今後一歩たりとも立川の
地を踏ませねえぞ!しかもゴールの東京
地球農園(あきる野市)には行く。天敵
だなあ、この番組は!「だったらみるな」
なんてゆわないでね。

くわのみ学級の花壇は、花盛り。これも地域の方に
聞いた言い伝えですが、「蜂の巣が低いときには
台風が多い」とのこと。実際昨年は低くて台風が
すごかったですね。今年も蜂の巣の位置が低いそ
うです。ネットにも載ってました。科学的根拠は
ない(風が強いから巣が飛ばされないように?)
と思うのですが、気をつけようと思いました。
台風でないけど豪雨は今年も多いですしね。

涼しげな、「あしっ子ガーデン」の池です。
さあ、夏休みも後一週間。宿題なども気に
なるでしょうが、今年は生活リズムを崩さ
ずに、健康のことを第一で。24日には、
元気なみんなに会いたいですよ!!

新しい時代へ


40度越えもあった今日の日本。夕方には夕立が。
稲妻もぴかり。カミナリがの光が多いと、お米は
豊作だという言い伝えがあり、「稲の妻」と書き
いなずまと読むのだそうですね。立川は大丈夫で
したか。

夏休みの自由研究で「夕立で頭を洗うことが
できるか」と言う鉄腕DASHなみのテーマで
研究をしました。実際洗えましたが、当時の
担任の先生にあきれられました。親には怒ら
れました。いい子はまねをしてはいけません。

戦争が終わり、落ち着いて勉強ができるように
なりました。でもこの写真を見ると、やせてい
る子どもが多いですね。農村地帯の砂川でも、
強制配当の食料供出があったため、食べ物には
苦労されたそうです。校舎の窓ガラスも無いと
ころがありますね。中央には、二宮金次郎さん
の銅像が!校舎改築前は、校庭にあったのです
ね。大変な時なのに、子どもたちはいい顔をし
ていますね!これも貴重な一枚です。

占領時代、掃除をしていると、軍靴のまま視察に
来た進駐軍の兵士に出会い、びっくりしたそうで
す。このあたりは基地があったから、よく視察に
来たみたいです。

この写真も2度目です。昭和30年あたりになると
夏休みに各地区で、「緑陰子ども会」と言う勉強会
をしていたそうです。先生も各地区をまわって指導
しました。当時は学区域がもっと広かったから、大
変だったそうです。上級生も下級生を教えてたそう
です。

班長さんの農家の庭先や、裏山の木陰などに、
むしろなどを置き、張り板やリンゴ箱を並べ
て夏休みの宿題をやったそうです。縦割りの
伝統はここから続いているのですね。緑陰子
ども会は昭和45年くらいまで続きました。
(出典:創立百周年記念誌「あしっこ」)

月・やけどなどに注意・鳥の指


今朝の明け方、月と金星がならんでいまし
た。カメラと腕のせいで月が丸く見えます
が、細ーい月でした。

朝焼けで、雲がムラサキになり、きれいでし
たね。夏休みならではです。

熱中症と感染症の両方を予防するために、
屋外では2m以上離れた時は外してもよ
い。マスクを付けるときにはゴクゴク水
を飲みましょう。判断力と工夫で乗り切
りましょう。

先日の猛暑の日、新家橋の手すりが熱くて、び
っくりしました。自転車のサドルなど、熱いの
で注意しましょうとのニュースです。今日も朝
から熱中症の警報が流れました。気をつけまし
ょう。

これは先日の写真です。くわのみ学級のしそや
花の花壇がカラカラでした。じりじりです。く
わのみのみんな、しそがおい「しそ」うでしたよ。

明日は、開館日ですが、しっかり水分をとって
気をつけてきてください。大人の玄関から入っ
てきてくださいね。

大門軍団ならぬ、クロコ軍団。ポーズがなぜか
決まってますね。

ところで、この足の指、変形か病気かと
思っていました。これは蹴爪といって、
(爪ではないが)後ろ指なのだそうです。
つまり普通のニワトリはこのように前3
本、後ろ1本の計4本なのだそうです。

ところが、クロコは前3本後ろ2本。闘鶏用の
軍鶏や、烏骨鶏など一部のニワトリは5本なの
だそうです。やはり五本指のヤツは、闘鶏の血
が騒ぐ乱暴者ですね。それに後ろ指がないと、
寝床の枝に捕まれないですよね。ネットで、
「ニワトリの足」で検索したら、おいしいお店が
いっぱい出ました。そうか、軍鶏の足は特別おい
しいのか・・・・!ヒッヒッヒ・・・。

記念誌や資料から考える


75年前の8月15日の正午もこんな晴だった
と聞きます。風がなくてたれていますが、平和
の青空の下です。

砂川村の農家でも、青年が兵士となって子ども
たちは、中神駅まで送っていったのだそうです。
先生方の中にも、昨日まで授業をしていたのに、
今日は出征兵士となって行かれた方もいらした
そうです。(たぶん子どもたちには、前もって
知らせなかったのでしょう。)記念誌には戦場
へ行かれた先生が書いたお別れの詩が載ってい
ます。「さらば武蔵野よ いとしの児よ」と書
いて昭和18年の10月に征かれました。

日々の生活においても、記念誌などのお話を
読むと、大変なご苦労だったことが、分かり
ます。終戦の昭和20年になると、砂川にも
空襲の被害が広がりました。特に8月2日の
明け方には、西砂の中里地区や四番地区の、
合計26軒が焼けたそうです。この時分校も
焼けてしまいました。あと少しで戦争が終わ
るところでした。しばらく、集まって自分た
ちで学習をしたそうです。

何回か載せましたが、昭和二十年の
学校日誌。西砂川國民學校と校名が
変わっています。本物です。

やはり、8月15日は、30度の晴れでした。お昼
からのラジオ(玉音放送)で戦争が終わったことを
淡々と書いてあります。もちろん不安ではあったで
しょうけれど・・・。

話はさかのぼります。これは昭和12年度
です。1月1日にみんな登校して、式を行
ったのです。分校の1年生から4年生も先
生が引率して式に参加。帰りにはおまんじ
ゅうをもらったそうです。

話は前後しますが、これはなんと大正12年の
学校日誌。これも本物。和綴じで丁寧に保存し
ていました。「西砂川小學校」です。

9月1日の関東大震災で『東京・横浜・横須賀は
全滅』と書いてあり、情報の混乱がうかがえます。
東京と神奈川に「戒厳令」が出るかもと書いてあ
ります。1日は強風で火事の被害も大きかったの
でしょう。ところで、なんでこんなに神奈川のこ
とも気にするのか考えました。三多摩は明治4年
から、明治26年までは、神奈川県だったのでし
たね。だから気になりますね。気温は摂氏でいう
と28度。少し涼しい9月でした。

9月3日の3校時、「前庭」に児童を集合
させ、校長先生から大事な訓話がありました。
①日用品の節約 ②衛生に注意 ③沈着冷静
に判断し※行動せよ。(※達筆すぎて読めま
せん。たぶん行動ではないかと)
危機の種類も違うし、一緒にはできないかも
しれませんが、今年の感染病に対する、校長
先生の始業式・終業式などのお話に、共通す
るものがあり、驚きました。
「判断して行動せよ」です!

もうちょっとおつきあいください。
これも大正時代の頃の夜学部の台帳です。

卒業した若者が、農閑期の冬に学校で学んだのです。
小安校長先生をはじめ、この年は7人の先生方が、
ご指導をされていました。

大正4年度はやはり農閑期の12月11日から
翌2月28日まで。夜の7時から9時まで(!)
月~土曜まで!修身・国語(読解でしょうか)・
作文・筆算・珠算。その後、裁縫なども入り、
あの写真になるのでしょう。TVもラジオもない
大正時代。地域の青年団の熱意と、それに応える
指導者の熱意を感じます。しかし昔の記録は、筆
で書いてあり、達筆です。なんとか丁寧に保存し
て、未来に語り継がれるといいですね。
出典:創立百周年記念誌「あしっこ」
   学校日誌(大正12・昭和12・20年度)

ニワトリ久々の主役!


いやあ暑い。五日市街道沿いに大木が
多いのは防砂林・防風林の役割をして
いたからでしたね。

見事な樹が並ぶ街道ですね。右には今も
消防団の火の見もありますね。

この道路の下には、砂川分水が流れています。
この分水は地域の生活や農業を支えていたと
いうことでした。途中見えるところもあります。

久しぶりです。さすがに今日は日陰にいます。
主事さん方や管理員さん方がえさをあげてく
れていたので元気です。

地域の方に教えていただきました。ニワトリは
水浴びはきらいだけど、砂浴びは大好きなのだ
そうです。知らなかったよ。穴を増やしました。

掘ること30分。終わったら次々と出てきま
したね。

これも、地域の方に教わりました。ニワトリは、
小石や砂を食べるそうです。
①歯がないのでおなかの中でえさをすりつぶす。
②土の中の菌を取り込むことで体が丈夫になる
 らしい。
えさをよーく見ると、小さい小石が入っている
こともあります。君たちのおかげで、いろいろ
学びますねえ。

おお、浴びてる浴びてる。土も食べてる
食べてる。また今度穴を深くしてあげましょう。

各教室この時期に片付けをしています。
図工準備室です。今入れ替え中です。
広くなってますね。校舎の様子もまた
来週になったら見回ります。

以前載せた写真です。緑のおばさん(交通整理の
主事さん)の後ろが五日市街道に今もある石の門。
「砂川町立西砂川小学校」ですので昭和27年に
体育の研究発表をしたのです。ここに文具屋さん
が、昔はあったと思います。

その頃の運動会。本当に校庭の真ん中に
大きな木がありました。子どもたちの体
操着や女性の先生の姿も含めて、これま
た貴重な写真です。

この頃の航空写真。南門の方から撮った航空
写真。これも一回載せましたがもう一度。
「西」の人文字の左下あたりに大きな木があ
るように思いますが・・・。まわりは畑に囲
まれていますね。プールや体育館はまだでき
ていません。九小の昔調べも、いよいよ戦争
の時代に続きます。