日誌

2019年8月の記事一覧

学校点景②


恥ずかしながら、オクラの花がこんなにきれいだ
とは知りませんでした。毎朝出勤時に見るのが
楽しみでした。           8月9日

赤じそが学校のすぐそばにあります。毎朝ここを通ると、
おい「しそ」うです。(猛暑なのに寒)

先週、市内の先生方から電話などの連絡があると、
「水泳どうだった?」という会話になりました。
2年続けて、猛暑でした。来年度はさらに対策を
練らないとと思います。校長先生から教えていた
だいた情報で、水温+気温が65度以上になると、
水の中でも汗が出なくなり危険とのこと。水温だっ
て、すぐに30度近くになっちゃいますからね。
                  8月1日

九小を会場に行われた「科学のひろば」。
写真は、水圧と気圧の関係で、水が止まった
ペットボトル。わけを知ると、そうかと思い
ますが、「なぜだろう」「どうしてだろう」
「なるほど」という感覚が大切だなあと思い
ました。            8月1日   

学校点景


職員室前の花壇に設置されている、日時計です。
このとき、12時50分だったので、なかなか正確
です。おそらく、春分の日や秋分の日に合わせて
いるのでしょう。          8月8日
 
学校の通学路で、水道の工事が7月から
行われました。子どもたちがお休みの今
こそかき入れ時なのは分かりますが、こ
の猛暑の中、本当にご苦労様です。地震
に強い水道管に、取り替えているのだそ
うです。          8月10日

これは、ずいぶん前の天気図ですが、今日あたりから、
風雨が強まりそうですね。10号はゆっくりなので、水
害が心配です。皆様どうぞお気をつけください。
                     8月8日  

自転車の問題


天気が良くなった分、星空もよく見えます。
月の右側へたくそですみませんが、木星です。
清き恋人のように、仲良く並んでいました。
今日も、夕方から見られると思います。
木星と言えば、Jupiter(ジュピター)。
『陸王』で流れたリトグリのハーモニーや、
平原綾香さんの、ブレスが思い出されます。
(私だけか?)
また、今土星も接近中で、望遠鏡で輪も見られ
るそうです。台風が心配ですが、12日の深夜
月と土星が並ぶそうです。空気のいいところに
お出かけだったらぜひ。

自転車が、車道を走る五日市街道。狭いから気をつけて
走ってください。それから、本当に一握りの方ですが、
都合のいい時に、車道や歩道を使い分ける危険な自転車の
運転者がいます。信号が赤なら自動車は止まりますが、
自転車が(それも高速のでる、高級車)さっと横切るので
びっくりしたことが、何回もあります。渡ろうと一歩踏み
出そうとしたら、さっと目の前を横切るので、
「ぶつかる!」と覚悟したほどです。子どもたちもぜひ、
左右や後ろの確認をして、気をつけて渡ってください!

この、五日市街道。「魔の五日市街道」と呼ばれる不名誉な
時期があったそうです。狭い上に、自動車の交通量がどんど
ん増えたのです。交通事故も残念ながら多かったそうです。
砂川用水にふたをして、歩道にした結果、交通事故は激減し
たとのことです。これからも、安全に気をつけたいです。
            百周年記念誌「あしっこ」より。

働く消防の写生会


今日は立川駅の方に用事があり、その前に
ちょっと早めにI勢丹へ。

あった、あった!おっほん。二年生の入賞
6名の作品です。おめでとう!やっぱり、
九小の名前を見ると、うれしくなります。
(わたしは、なんにもしてないのですが。)

記念写真を撮るコーナー、ゲームのコーナー
消防服体験など、用意されていました。
子どもたちに、消防を始めとした防災に関心を
もってもらうことなどをめあてに、開催してい
るそうです。今年は69回目。来年は70回の
記念写生会。今の一年生、来年も頼みますよ!

3月まで、立川駅南口の小学校に勤めてい
たので、お久しぶりという感じです。賑や
か。立川は、商業地域・農業地域・工業地
域などがしっかりしていて、玉川上水・多
摩川・昭和記念公園など歴史的なものもた
くさんあります。3・4年生の社会科学習
に、こんなぴったりの市はあまり無いので
はないでしょうか。アニメの聖地・マラソ
ンの街・ロボットから牛さんまで。さて、
この後は知人と昼間っからムニャムニュ・
・・・・(暑さで壊れました。)

立川市と国立市の小学生の、個性的な
絵を見ることができました。おや、
消防署の方もにっこりです。

またひとつ謎が解けました


閉庁日の前に、これは紹介しないと!「力をあわせて 
明るく楽しく」と刻んである100周年の記念碑です。
初めて、九小に来た時に目の前に見られて、びっくり
しました。大きな大きな碑です。

2000年、2030年、2080年に開ける
と書いてあった、タイムカプセル!あと11年
後ですね。

校長室に飾ってある、校歌です。三番を見てください。
つい、「立川第九(だいきゅう)」と歌いそうになりますが、
正しくは ♬立川第九(だいく)小学校♬ です。
またひとつ謎が解けました。

台風が近づき、猛暑の夏ですが、良い思い出が残る
夏休みになりますように!

明日から学校閉庁日(18日まで)


業者さんによる機械の点検が終わり、
今日水泳担当の先生が、水の栓を閉め
ました。閉栓といいます。(そのまん
まですが、用語です。)これで、本当
にすべての水泳関係のことが、終わり
ました。このあと、塩素が抜けたら、
トンボが卵を産んで、ヤゴの天下にな
ります。(来年の3年生が救出します。)

明日から、閉庁日です。餌を多めに入れました。
しかしよくこんなにこぼせるなあ。水は、いつも
子供たちが大変お世話になっている、Iさんが替
えてくださいました。

さすがに、昼間は珍しく小屋の中で、
夕方になってやっと外へ出ました。
エサはたっぷりあげたからね。

私の世代にも懐かしいもの


校長室に、懐かしい物が置いてありました。
何でしょう!チャイムがないころ、用務員
さんが、時間になるとこのベルを鳴らして
知らせてくれたのです。私も一年生の頃は
このベルで教室に入りました。二年生の時
にチャイムができました。

きのう紹介した「学校沿革誌」。当時の「教室の
出入りにおける児童の心得」。今で言う生活指導の
きまりの一部です。「始業の報鈴」と書いてある
のが、あのベルだと思います。今も昔も時間を守
ることや、廊下歩行を頑張る九小です!

念のために言い訳をしますが、夏休み中に応接
室の金庫や戸棚などを整理しているのです。
おや、これは沿革誌ではなく学校日誌。「學」
の字が時代を感じます。保存状態も素晴らしい、
和紙と和綴じの帳面です。そっと開きます。

すごいですよね!児童は四〇〇人くらい。9月1日で
今の26度。7月の終業式で32度。やや昭和19年
の方がすずしいですね。始業式の日に級長や副級長の
改選を行ったと書いてあります。この一年後に、終戦
の夏を迎えるのですね。そっとしまいました。

昭和三〇年頃に盛んに行われた、「緑陰子ども会。」
木陰に近所の子どもが集まり、上級生が下級生に教え
ていたという勉強会です。夏休みもやっていたのかな。

職員室から


廊下を歩くと、どっと汗が出ます。職員室の
クーラーが命綱。おや、これは?そうです、
早速運動会の表現の小道具。試作品ですが、
キラキラ輝いていました。先週から、運動会
に使う音楽が小さく流れていた、職員室でし
た。ついキョロキョロ。サボってるのでは、
ありませぬ。

先生方がじっくり見ているのは、最新のコピー
機です。今日から取り替えられました。メーカー
さんの説明を聞いていろいな機能にびっくり。

操作がタッチパネルの上、車いすのユーザーにも
使いやすいよう、パネルが動くのです!くわのみ
学級の職員室のコピー機も同様に替わりました!

体育館も宝の山


暑い体育館。左正面。校歌の歌詞が飾られています。84回の
卒業生が共同卒業製作で作ってくれたものです。明治5年にで
きた九小ですが、校歌ができたのは昭和33年(1959年)
翌年60周年の、記念事業の一環として作られました。校歌を
作るのに補助金がなかったので、当時のPTAの皆さんが中心
となって廃品回収などをして完成した校歌です。
とっても歌いやすい歌です!

これは、正面右側の大きな卒業制作。くわのみ学級や
焼き物小屋ができた年でしたね。

そして、正面の幕には「創立100年」の文字が。
なんとこの年は30学級!児童数1172名!
入学式に、学習発表会や、展覧会、卒業式。そ
してみんなの体育を50年近く見守ってくれま
した。

あれ!肋木(ろくぼく)にも、昭和52年53年の
卒業生の贈り物だと書いてあります。
40年以上前、松中小や柏小ができて子どもたちが
分かれていった頃です。肋木って何でしょうか。昔流行
した、スエーデン体操の補助具だったとか。

貴重な資料(大人の学校たんけん)


学校沿革誌というのをご存じでしょうか。学校の主な
出来事などを毎年記録していく物です。学校の書類は
保存年限が、3年とか5年とかと決まっています。学
校沿革誌は永年保存です。永久に保存する大切な資料
です。上は今記録している沿革誌。下は1冊前の沿革
誌です。

入学式とか、運動会とか、子どもたちの大切な行事
などを記録します。小泉さんと滝川さんが結婚する
などとは記録しません。(書くわけがない!)
その第一号を発見しました。早速めくってみると!!

その第1ページ。明治34年度までは、記録がなか
ったので、伝聞された物を書き記した貴重なもの。
明治5年一番組から四番組までを学区域にして、流
泉寺境内に学校が始まったことがきれいな字で誇ら
しげに書いてあります。

明治33年の校舎。流泉寺から、今の場所に校舎が
移り、西砂川尋常高等小学校になった頃です。4教室。

明治40年三・四年生が通うようになったので、
校舎を増築しました。左下に「教員住宅」。
宿直でもしたのでしょうか。宮沢賢治や、
夏目漱石の「坊ちゃん」の世界が目に浮か
びます。本当にスケールの大きい話。思い
つきで始めた企画ですが、とても素晴らし
い、歴史に触れられます。