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Hello 校長室
Hello 校長室
いしずえ438
■今日は時の記念日です。671年の今日、日本で初めて時計が
使われたとされています。1920年に「時」展覧会で提案され
たのが時の記念日だとか。その頃日本人は欧米人に比べ「時間を
守らない」と言われていたことに由来するようです。興味深いで
す。私は保育園児だったころ朝の歌で「コチコチかっちんお時計
さん」と歌い、「こんにちはさようなら」という歌詞で教室を出
て行きました。毎回教室を出ていく私を、誰も引き止めなかった
「かもめ組」の友人たちでした。 (6月10日飯田芳男)
いしずえ437
■一中生の『朝読書』の本に、書店独自の包装紙のカバーがかけら
れているとちょっと嬉しくなります。包装紙は、書店ごとに違って
いて楽しいですね。自分では、珍しい包装紙と思っていても、電車
内で同じカバーの人を見かけて驚いた経験が何度かあります。私は、
中学の時。漫画雑誌の「少年マガジン」にもカバーをかけてもらっ
た思い出があります。『あしたのジョー』と言う人気漫画作品が、
最終回だったからです。断らない店員さんもすごかったです。
(6月9日飯田芳男)
いしずえ436
■まもなく水泳指導が始まります。プールの水を排水し、きれいな
水を入れます。排水すればヤゴも流れてしまうので、ヤゴを救出し
てきました。50匹くらい救い出しました。全部は救出できず心か
らお詫びする次第です。赤とんぼのヤゴが多いようですが、なんと
かトンボになってほしいと願います。さて、梅雨入りとなりました。
雨の被害は遠慮したいですが、雨の季節を楽しみたいです。
(6月8日飯田芳男)
いしずえ435
■新聞で『よそのお子さんたちが、歯をくいしばって走ってくる
のを見て、応援に熱中している自分に驚きました。』と言う投稿
を読みました。お孫さんの運動会を見に行った方の文でした。お
孫さんが出ていないリレーを何となく見ていたら「走ることに集
中して頑張っている姿に思わず声を出して応援してしまった」と
のことです。この方の『心』の色とぬくもりが伝わってきました。
(6月7日飯田芳男)
いしずえ434
■数字のゾロ目はうれしい気持ちになります。理由はないのです
がたのしい気分です。令和6年の今日はワクワクしていると思い
ます。ゾロ目の語源は二つのサイコロを振った時の同じ目だと言
われています。私は入試の時、受験番号が777でした。番号に
頼るのはどうかと思いましたが、何年かお守りのように保管して
いました。ゾロ目だけでなく、何事にも「いいことが起こる」と
思ったほうが結果も良いような気がします。一中生の皆さん、き
っと今日は良い一日ですよ。ゼッタイです!(6月6日飯田芳男)
いしずえ433
■今日の月齢は16とちょっと。昨日も今日もほぼほぼ満月です。
さて、今日の読売新聞のコラムに作家井上靖さんの『氷壁』の話
が載っていました。私の中高生時代は、友人が山の小説をこぞっ
て読んでいました。新田次郎さんの『孤高の人』もボロボロにな
るまで読みました。皆さんはどうでしょうか?思い出すのは山岳
部とワンダーフォーゲル部の違いは?という論争でした。そして、
山が好きな友人は、名前に「岳」がついていたなあということを
思い出した月曜でした。 (6月5日飯田芳男)
いしずえ432
■今日は『蒸し料理の日』です。小学校6年生のおやつ作りの
授業で『蒸しパン』を作りました。私の分だけ蒸し器が足りず、
水を入れた鍋にふきんを入れます。付近の上に皿を置き、蒸し
器の代用品をあみだしました。完成した蒸しパンは、職員室の
休憩用テーブルに置きました。「ご自由にお召し上がりくださ
い・飯田作♡」という、メッセージを添えて。誰も食べてくれ
ませんでした。 (6月4日飯田芳男)
いしずえ431
■雨上がりの朝、休日なら、子供だった私の仕事は傘や長靴を干
すことでした。傘を干すのは簡単なのですが、きれいにたたむの
は小学生の私には難しい仕事でした。傘はとても大事だったので、
破損すると、近所の傘職人さんに修理をお願いに行くのも、私の
役割でした。雨上がりは依頼が多くて「何日かしたら取りに来て」
と言われ帰宅します。傘の修理が終わり「取りに来て」と言われ
るのは、たいがい雨の日でした。 (6月3日飯田芳男)
いしずえ430
■読売中高生新聞で、ストローレス牛乳の記事が掲載されていま
した。口をつけてラッパ飲みできるパックを『スクールポップ』
というそうです。ストローを使わないことで、175トンもプラ
スチック削減につながるそうです。ストローを入れる穴も開いて
いるので、ラッパ飲みに抵抗がある人も安心です。牛乳パックと
言うと、私は三角のテトラパックに思い出があります。ストロー
はさすのですが、口を開いて長方形にし、空きパックを詰めると
クラス全員のパックは、四つくらいの長方形に収まります。ここ
数年はテトラパック牛乳をみたことがありません。探してます!
(6月1日飯田芳男)
いしずえ429
■私が教育実習に行った時、中学2年生が私の授業感想を書いて
くれました。『ぼくのことを忘れないでください』『必ず先生に
なってください』『天平文化が良くわかりました』等、セピア色
の用紙から40年前の教室がよみがえります。大学4年生にすべ
ての授業と、担任業務をまかせてくれた実習校に今も感謝してい
ます。私もどこかで恩返しをしなくては…。そんな気持ちです。
(6月1日飯田芳男)
いしずえ428
■一中の校門を入ると、ウグイスがまるで私を歓迎してくれるかの
ように美しく鳴いてくれます。もちろん「ホーホケキョ」と。この
ように鳥や動物の鳴き声を、人の言葉や文字に置き換えて覚えやす
くしたものを「聞きなし」と言うそうです。ラジオで聴きました。
有名な聞きなしはウグイスで「法、法華経」です。ネットでコジュ
ケイの鳴き声を聞きました。「ちょっと来い ちょっと来い」と聞
こえます。空耳アワーみたいなものですが、私なりに楽しんでいま
す。さきほど「今日はセミが鳴いてるな」と思ったら耳鳴りでした。
楽しんでいられません! (5月31日飯田芳男)
いしずえ427
■小学校6年生に「担任の飯田先生にだけ教えたい運動会のひみつを
本のタイトルかニュースの見出し風に書いてください。そのタイトル
や見出しを作った理由も書いてください。」と伝えると楽しく書いて
くれます。作文を書かせたら私もたっぷり返事を書きます。「作文は、
自分が自分を認める作業です。」 子供は誰もが一流作家です!
(5月30日飯田芳男)
いしずえ426
■レースの開始で出発のピストルを鳴らすスターターは、ヘッドフォ
ンをしています。私は中2の時この係でした。責任感一杯でこの任務
につきました。耳がキーンとしないようにということで、体育科の先
生が水泳の耳栓をくれました。私はその貴重な耳栓を当日の朝落とし
てしまい、代わりに、自分の勝手な判断で耳に脱脂綿を入れました。
夕刻、耳に違和感が…。綿の切れ端が耳の中に残ったようです。翌日
までとれず、振替休業日に耳鼻科に行きました。あのヘッドフォンが
当時も欲しかったです!私の『体育大会ドラマシリーズ』のひとコマ
です。 (5月29日飯田芳男)
いしずえ425
■体育大会では生徒もたくさんの係を担当してくれました。加えて、
前日までの係と当日の係の二役にたずさわった生徒もいました。誰も
が任務を果たしてくれて頭が下がる思いです。私が中学の時『タイム
を計る』任務と『あと何周』を表示するミッションで大失敗をやらか
しました。この年になっても冷や汗が出ます。(5月28日飯田芳男)
いしずえ424
■体育大会が行われました。競技中のBGMは担当者のセンスある選曲
でした。思わず口ずさんだ曲もありました。見ごたえのあるレースで
は特に曲効果が発揮され、余韻にひたり、生徒一人一人が主役の体育
大会を実感しました。 (5月27日飯田芳男)
いしずえ422
■諏訪の森公園では、いつのまにかアジサイが咲いていました。私は
勝手に6月に咲くものだと思っていましたが、植物は植物なりに季節
を感じているのでしょう。アジサイは、ソメイヨシノやハナミズキの
次は自分だとばかり、輝こうとしています。小学校1年の教室で、私
が「お花はしゃべらないからさびしいね」と言ったら、「飯田先生が
話しかけないからだよ」と言う答えが返ってきました。いつも心の中
で思い出しているやりとりです。 (5月26日飯田芳男)
いしずえ421
■私はグリコのキャラメルが好きで「あのポーズ」にしばし挑戦して
いました。その後「シェー」をしたり「シュワッチ」と、ウルトラマ
ンのスぺシューム光線発射をまねたりしていました。ラジオ体操をし
ていると、つい子供のころの様々なポーズを思い出してしまいます。
今日は『山の手空襲』から78年経ちました。私の子供のころの思い
出に戦争はありません。一中生の皆さんも、いつも平和な時代を歩ん
でほしいと切に願います。 (5月25日飯田芳男)
いしずえ420
■体育大会の練習に真剣に取り組む姿に接しながら、私の中学校時代
をいつも思い出しています。私が中1の時、体育大会実行委員長だっ
た先輩は、最近まで都内の中学の校長先生をしていました。体育科の
先生です。副校長先生をされている時お会いしました。「中学生時代
が忘れらなくて職業になっちゃったよ」と笑っていました。いや実は
私も同じです。 (5月24日飯田芳男)
いしずえ419
■給食のコロッケはとてもおいしかったです!調味料のサシスセソが
絶妙だと料理はおいしいですね。サシスセソは、言うまでもなく砂糖、
塩、酢、しょうゆ(醤油)、味噌です。子供のころ「セ」がなぜしょ
うゆなのか?「ソ」はソースでは?と疑問でした。当時、いつものよ
うに今は亡き祖母に質問しましたところ、醤油は昔「せいゆ」と言っ
てたという答えがかえってきました。こちらは納得。また、味噌は昔、
「噌」と一文字で表していたとのこと。(諸説あり)こちらには思わ
ず「うっそー」と叫びました。祖母は「『みそひともじ』って言葉が
あるでしょ。」と、サラッと大ぼらを吹いてくれました。「おばあち
ゃんそれ間違いでしょ!」とタンカを切った私でした。
(5月23日飯田芳男)
いしずえ418
■小・中学生の時は、運動会の時期に、練習でトラックを時計回りで
走っていました。カーブが走りにくくて楽しんでいました。高校生に
なって、1912年の国際陸上連盟創立後の競技規則で「走る時は、
左手が内側になるように走ると明記された」と授業で習った記憶があ
ります。同時に「根拠はない」と習った記憶もあります。ところで、
全国の競馬場10か所中、東京、新潟、中京が反時計回り(左回り)
で、他7か所は時計回りです。反時計回りが得意な馬と、時計回りが
得意な馬が存在するようです。人間だけが反時計回り限定でしょうか。
試しに両方のレースを用意してみますか??いえ、ひとり言です。
(5月22日飯田芳男)