日誌

2020年3月の記事一覧

Hello校長室365


■満開の桜に雪が降ると折れないかどうか心配です。幹が曲がっている桜
も多いのでちょっと気になります。桜は、川沿いに植えられていることも
多いようです。川面に倒れかかっている桜も多いなあと思います。玉川上
水の学習では、「花びらが水の消毒になる」という予想が多いのですが、
真偽はわかりません。さて、まもなく4月、♫東京で見る雪はこれが最後
ねと…♪ 「なごり雪」を心の中で歌いながら出勤します。
                      (3月30日飯田芳男) 

Hello校長室364


■予報通りの雪となりました。多摩北部に大雪警報がでたそうです。事故
や災害につながらないよう祈っています。ところで多摩北部と言われると
私はひそかに「北多摩郡」という表示を思い出します。多摩地区の○○市
が○○町と称されたとき、北多摩郡、南多摩郡、西多摩郡は三多摩と呼ば
れていました。昭和40年代の天気予報は「三多摩方面では…」というア
ナウンスがあったような気がします。そしてあの頃は、積雪30センチ位
の雪が数度となく降った気がします。というように昔のことはスラスラと
出てきます。「後ろ向き人間」の私は、名残りの雪を眺め、ひたすら過去
を振り返ります。              (3月29日飯田芳男)

Hello校長室363


■雪の予報が出てしまいました。でも3月の東京の雪は驚くに値しません。
時々経験があるからです。私が小学校の教員の時、昭和63年4月7日、飯
能の山に実地踏査に行きました。300m程度の低山です。当時練馬区の小
学校の先生は、春の遠足の下見はこの日に行くことが多かったのです。実地
踏査を終えた先生方は、「明日はゼッタイ雪だ」と言っていました。夕方、
冷たい小雪に見舞われたからです。その通りに翌8日は、桜が開花したまま
大雪になりました。校庭では、重い雪で桜の木が折れていました。4年生の
担任だった私は児童と雪かきをしました。忘れられない大雪でした。今でも
その子たちは、「昭和最後の春の雪」をなつかしく語っています。
                       (3月28日飯田芳男)

Hello校長室362


■マスオさんや、ジャムおじさん役でおなじみの増岡弘さんがお亡くなりにな
りました。八小や南砂小ではPTAの講演会で話されたので、ご存じの方も多
いと思います。八小では講演後子供たちに、校内放送でDJをやってください
ました。あのお声が聞けないのは残念です。増岡さんは、サザエさんの声優の
方々とは仲が良く「よくタラちゃんとはお酒を飲む」とおっしゃっていました。
私が「まだ赤ちゃんなのにお酒が飲めるんですね」と言うとガハハと笑ってい
ました。サザエさん一家もアンパンマン達も別れを惜しんでいるのでしょうか。
桜が散り始めました。              (3月27日飯田芳男)

Hello校長室361


■時節柄、卒業アルバムをめくっている児童生徒も多いと思います。思い出の
写真は、ふとした時に眺め、つい長い時間をかけてしまうことがあります。気
持ちがなごむひと時は嬉しいものですね。以前はフィルムで撮影していました。
仕事がひと段落したら、学校の暗室にこもり、先輩の先生に教わりながら現像
をしたものです。プリントは子供たちにプレゼントしていました。給料の大半
を写真に費やし「貯金ができなかったぞ」と教え子には語っています。でも、
写真やビデオ以上に、心に刻まれた思いこそが「思い出」ですね。頭の中で振
り返りながら楽しんでいます。脳の中というのは、楽しい思い出だけが上書き
されていくようです。             (3月26日飯田芳男)

Hello校長室360


■ボランティア部の皆さんがお世話をしていたチューリップも、春を告げてく
れました。♪さいた さいた チューリップの花が…♪と歌ったのは、確実に
4月だったような気がします。でも、本校のチューリップは今が旬です。この
歌詞にあるような「♪ならんだ ならんだ 赤 白 黄色」のチューリップは
わずかで、今ではいろいろな色が楽しめます。さて、チューリップも寒い冬を
じっと耐え開花します。何と健気(けなげ)な花でしょう。球根の中を分析し
たことはありませんが、春が訪れるとしっかり私たちの目を楽しませてくれる
センサーは見事です。私は新たに担任になった4月、「たんぽぽ」を歌わせて
いました。♪雪の下の ふるさとの夜つめたい 風と土の中で 青い空を夢に
見ながら 野原に咲いた 花だから…♪というのが冒頭の歌詞です。どんな
(きれいな)花よりも、たんぽぽをプレゼントをしたい理由が歌われています。
この頃、足を止めて花を眺めるゆとりがありませんでした。反省です。
                        (3月25日飯田芳男)

Hello校長室359


■給食の予約機を囲んで談笑する光景から、「学校が息を吹き返したな」と感
じました。校内放送による修了式は寂しいですが、生徒の登校する姿があった
ので良しとしようと思います。またまた休みに突入しますが、健康な生活がで
きる日常に感謝したいです。3年生がいなくても4月からは1・2年生に期待
します。私は、2年から3年になった時とても緊張しました。おもいがけず?
心を入れ替えることができて、今があるような気がします。ステージが変わる
ということは大切なのですね。風が冷たい修了式の日でした。
                       (3月24日飯田芳男)

Hello校長室358


■校庭の桜は満開でした。在校生の皆さん、明日は桜を愛(め)でてあげてく
ださい。今朝、読売中高生新聞のトップ記事は「藤田ニコル」さんでした。藤
田さんが、から揚げをプロデュースしたという記事です。NIKOKARAの
商品化まで7か月かかったそうです。記事は、『4月は心機一転できる時。み
んなも私みたいに、やりたいことに挑戦してみて!!中高生の皆さん!』と、
ニコルさんからのエールを紹介していました。私はと~ても元気になりました。
中高年の皆さん!と読み込んでいたからです。   (3月23日飯田芳男)

Hello校長室357


■卒業生はこれから地域にとけこみ市民として活躍してくれるでしょう。その
卒業生のあるグループが「東橋」のあたりを通りました。私は「あずまばし」
とにごるか「あずまはし」とにごらないで読むかが気になってしまいました。
橋は、ひらがなのプレートと漢字のプレートの両方があります。そのおかげで
読み方は確認できますが「はし」か「ばし」はどういう決まりがあるか?疑問
が残ります。同様に、町も「まち」か「チョウ」かどんなルールがあるか疑問
でした。それはさておき、例えば四谷見附橋の読みは、ひらがなでは、「よつ
やみつけはし」です。しかしローマ字表記は「YOTSUYAMITSUKE BASHI」
です。ウ~ン 気になりますが、気にしないようにしています。
                        (3月22日飯田芳男)

Hello校長室356


■区部の副校長の時は、併設の幼稚園の卒園式に顔をだしていました。この時期
は、さよならぼくたちの幼稚園(保育園)を聴かせてもらいました。♪たくさん
の毎日をここで過ごしたね 何度笑って 何度泣いて 何度風邪をひいて…♪ 
という歌詞を覚えている人もいるでしょう。幼少の頃もなつかしいですね。時々、
思いっきり昔を思い出すのもいいかも知れません。でも私は、過去を振り返り過
ぎる後ろ向き人間でっす!             (3月21日飯田芳男)

Hello校長室355


■卒業生はどんな一日を過ごしているでしょうか。「卒業」の実感が湧くのはこ
れからでしょうか。あらためて今後の活躍を祈ります。私は今日、折々に昨日の
卒業式をふりかえっています。卒業生の入場は「威風堂々」でした。小学校の卒
業式でも、入退場のどちらかで演奏されることが多い曲です。二中生の皆さんも
リコーダーで演奏したかも知れませんね。二中の卒業生も堂々の入場でしたよ。
ところで、式で歌う歌の定番と言えば、「旅立ちの日に」や「大地讃頌」です。
以前は、小学校を中心に「巣立ちの歌」も多く歌われていましたが、「旅立ちの
日に」歌う学校が多いようです。私は、証書を渡しながら、気持ちを一つにした
各学級の様子を思い出していました。卒業生の皆さん、卒業したら新たな思い出
が更新されていくのでしょうが、当分、二中の思い出にひたってくださいね。
                          (3月20日飯田芳男)

Hello校長室354


■二中の卒業式の見送り(歓送)は、競輪場まで続くのですね。ちょっとほろり
とするシーンでした。担任の先生がうらやましかったです。在校生の皆さんに見
せてあげたかったですね。先輩たちはりりしかったです。練習をしていなくても
証書をきちんと受け取っていました。さすがです。今朝は、生徒の歓声が校舎に
伝わって学校が息を吹き返しました。でも一瞬です。在校生が24日に登校する
まで校舎はまた冷えてしまいます。学校は生徒がいないとだめなんです。卒業生
の皆さん、二中の思い出を心に留め、新たな思い出作りに精をだしてください。
                         (3月19日飯田芳男)

Hello校長室353


■「自分の心の中にある優しい気持ちを大切にしてな」卒業式を迎えた息子さん
にお母さまが伝えた言葉だそうです。人生の節目にもらう、家族からの言葉は宝
ものです。私が中学の卒業式の日は、90歳になる祖母に証書を見せたところ、
「一枚の紙なのに、なんだか重いや…。」とつぶやきました。感動してしまいま
した。でも私は何も言わず自分の部屋に行きました。ずっと後悔しています。
                         (3月18日飯田芳男)

Hello校長室352


■春の訪れで園芸屋さんはにぎやかになりました。お店を覗(のぞ)くと種や、
肥料がたくさん陳列してあります。その陳列コーナーの表示は、結構むずかしい
漢字が並んでいます。種苗は「しゅびょう」、播種は「はしゅ」と読みます。種
まきのことですね。肥料をあげることは施肥と言います。「せひ」と読みます。
他にも麦稈(ばっかん)、割当(カットー)など。農業・園芸に関する用語はと
てもむずかしいです。でも、「読めなければ調べる」が肝心ですね。努力してい
こうと思います。ところで私は漢検二級を受け続けてもう3年、いまだに桜は咲
きません。                    (3月17日飯田芳男)

Hello校長室351


■競輪場側からの門を入ると、こぶしの木があります。桜の開花が話題になりま
すがこぶしの芽もほころんでいます。今日は時々北風が強く吹きました。二中の
木々は強い風に耐え、本格的な春の訪れを待ちわびています。さて、体育館は、
教職員が卒業式の会場を整えました。昨年は、今年の卒業生が在校生として懸命
に式の準備に力を貸してくれたのに、今回は恩返しができずにすみません。当日
は心から皆さんの門出を祝います。今週はゆっくり時がながれてほしいです。
                         (3月16日飯田芳男)

Hello校長室350


■昨日はソメイヨシノの開花宣言がありました。千代田区の靖国神社の標本木で
5輪以上の花が確認されたそうです。昨年より7日早く、史上最速とのことです。
卒業式も入学式にも桜があったほうが気持ちがなごみますね。長く楽しめること
を期待します。さてそんな日に昨日は雪がふりました。「春時々冬」と言ったこ
の頃です。自然界のながれにはさからえません。今朝は快晴です。でも、午後は
にわか雨もあるという予報です。自然界は私にいろいろなことを教えてくれます。
                         (3月15日飯田芳男)

Hello校長室349


■庚子年(かのえねどし)も明けて74日経ちました。「ネズミは猫の姿を見る
と逃げ出す」と思いつつ歩いていると、敷地内に猫が三匹くつろいでいました。
きっと生徒を探していたのでしょう。以前は猫とネズミの戦いを見かけました。
「窮鼠猫を噛む(きゅうそねこをかむ)」ということわざがあります。逃げられ
ない窮地(きゅうち)に追い込まれたらネズミは猫に噛みつく、強いものに反撃
するという例えでもあります。子どもの頃、まったくのことわざ通りの光景に驚
いたものです。さて休業が続く学校です。猫もネズミも、♪ミミズだってオケラ
だってアメンボだってえ~♫二中生に会いたくて、キョロキョロしています。
                         (3月14日飯田芳男)

Hello校長室348


■事務室・職員室前の花壇の除草をしました。陽気がいいので左の写真のように
草が生えてきました。今朝、用務主事が「卒業式にはきれいな花壇にしたい」と
言って整備してくれました。卒業生にも在校生にもこの状況をなんとかしてあげ
たいのですが、もうしばらく辛抱してください。アンズの花は、皆さんの登校を
待ち切れずに満開となりました。二中生の皆さん、登校したら花や木々にも、机
や椅子にも声をかけてあげてください。       (3月13日飯田芳男)

Hello校長室347


■先人は、春は東から吹くやわらかな風にのって訪れるようです。『東風吹か
ば 匂い起こせよ梅の花 主なしとて春な忘れそ』これは、太宰府へ向かう菅
原道真の一首です。歌の解釈はともかく、この歌で「東風➡こち」と読んでも
らえている気がします。南風より東風のほうが粋(いき)な感じですね。さて
二中生の皆さん、休校でストレスもあるでしょうが、そこかしこにみられる春
を探しに行ってはいかがでしょうか。皆さんがいない校舎は冷えたままで春を
感じません。                  (3月12日飯田芳男)

Hello校長室346


■東日本大震災が起きた平成22年度は、上砂川小学校の校長をしていました。
平成23年3月11日午後2時46分、つけっ放しのテレビとポケットのガラ
携が緊急地震速報を流しました。校長室から職員室の放送設備まで小走りで向
かいました。冷静に行動できたのは「震度3か4位で、速報は誤報かも」とい
う気持ちがあったからです。ところが「校内一斉」というボタンを押そうとし
たら、職員室の壁がミシッと音をたてました。これは校舎が崩れると思いまし
た。でも児童の命を救わなければなりません。「机の下にもぐりなさい」「先
生方は落下物に注意しなさい」この言葉を5~6回繰り返しました。数分後に
「校庭に避難しなさい」と指示。校庭で来客対応していた副校長が点呼を始め
ました。私は一人でトイレ等で逃げ遅れた児童の捜索を行いました。余震の最
中に「これは児童を帰宅させられない」と判断しました。時折、小雪が舞いま
した。数名の教員に、600人近い児童のジャンパーを取りに行かせました。
同時に運動会でつかった学級表示のプラボードを取りに行かせ、引き渡しに備
えました。夜10時には最後の児童が保護者と帰っていきました。何年たって
も、被災された方々の事を思うと適切な言葉がでません。
                        (3月11日飯田芳男)