日誌

若葉町を歩く①

【おまけ】

学区域の地図を見て、ずっと思ってたことです。

地図を見て思いました。なんでこんなに若葉町

の先が、とんがっているんだろう。川や道路が

あったのかな。不思議だなあと。

もう一つ気が付きました。若葉町と小平市と

国分寺市が接しているT字路はなんかあるの

だろうかと。よーし。全編おまけという、夏

休みならではの企画「若葉町を歩く」。シリー

ズ化の予定はなし。

国立駅から歩いて出発。いきなり上り坂

です。写真以上に結構きついです。でも、

この坂道がまわりまわって、若葉「台」

いう高台の本校につながっているんです

ね。

上りきると、ずーっとまっすぐの道です。

国分寺市光町。光町の「ひかり」って、

新幹線ひかり号の光なのですね。鉄道総

合研究所に、新幹線資料館があり、鉄オ

タさんに人気のようです。ちなみにその

前は平兵衛新田とよばれていました、

ってことは・・・。

新しい家が多いのですが、ところどころ

畑などの農地が見えたり、いかにも農家

さんの家らしい、大木や納屋のあるとこ

ろもありました。この道の両側は昔農地

だったのでしょうと推測。この木も素晴

らしい大きさ。

高木町花街道公園というのですか。だから

このまっすぐな道は「花街道」っていうの

かな。国分寺市の高木町は、江戸時代に現

在の東大和市にあたる「高木」という地か

ら、この地を開拓したとのこと。高木新田

という名前から、高木町になりました。や

はり、農地(新田)の道ですね。しかし、

玉川上水がもしできてなかったら、新田開

発もなかったろうと思うと、ありがたい

本当に偉業だと思います。

到着しました。水色の矢印のあたりが、とん

がっている、市境だと思います。このあたり、

農地が多く見られ始めました。

バス停の名も「花街道」。今はさるすべりくらいが

目立ちますが、春や秋は花の咲く道なのかな。楽し

みです。やっと若葉町に入りました。   続く。

 

【おまけのおまけ】

散歩はまだ続きますが、この後家に帰って

調べたら、昭和初期の地図には、とがった

砂川村と国分寺村の境目が書いてあります。

地主さんの境目かもしれません。このころ

は砂川全体が養蚕(かいこさん)が盛んだ

ったので、桑畑も多いですね。この花街道

はまだできてません。

参考 市史編さん広報誌 たちかわ物語

   AIさんとSiriさん