日誌

学校の北側にも歴史がある


65年くらい前の、五日市街道からみた学校道。
まっすぐ行くと、門がありました。

いまでも、学校の北側の子どもたちが毎日
登下校で使う。学校道です。

大正10年ころの絵地図では、今の保育園はまだ
何も建ってなかったようです。反対側は、文具や
荒物(おけ・ざるなどの雑貨屋さん)のお店があ
りました。子どもたちはノートとか買ったのかな。
おや、病院や天主堂(教会)も近くにありますね。
駐在所も今とは違う学校のそばでしたか。

たぶん、北校舎裏のこのあたりに、門があった
のだと思います。奥には初代校長 小安 傳
先生の碑があり、子どもたちは毎日その碑の
前を通って校舎へ入ったのでしょう。

初代小安校長先生は、学校だけでなく地域の
教育も行った方です。その詳しい内容が、
漢文で刻まれています。90年近く前に建て
られた貴重な石碑です。

その、小安先生の石碑の前に、立川市制50周年を
記念してタイムカプセルがあります。昭和15年
(1940年)の立川町が立川市になった時から、
50年。平成2年(1990年)に埋められたのだ
とい思います。さらに50年後の2040年に開け
られるそうです。何が入っているのかわかりません
が、皆さん覚えておいてくださいね。

そして、北側の道路にそびえる大イチョウ。以前は
2本あり、一本切ったら・・・という話を紹介しま
した。地域の方にうかがうと、ここに職員住宅があ
り、先生方が住んでいたそうです。その庭にこのイ
チョウの木が2本立っていたそうです。というわけ
でこの道路も学校の所有地なので、イチョウの世話
を主事さんが時々してくださっています。武蔵砂川
駅やバスができる前は、通勤に時間がかかったので、
職員住宅があったそうです。

今年の記念誌「あしっこ」の掲載写真に、推定の
場所を書きました。1950年ごろの西砂川小学
校時代の写真です。まだ、プールや体育館はあり
ませんね。北側の紹介で終わってしまいました。
この続きはまたそのうち。

4年生の俳句。除夜の鐘のゴーンという余韻が
すてきですね。鐘の音が聞こえるところに住ん
でいるのでしょうか。明日は大晦日です。終わ
りよければすべてよし。いいい一日をお過ごし
ください。

100周年の記念誌によると、12月30日までに、
松飾りが砂川地域では、飾られていたそうです。 
いよいよ新年迎える雰囲気が出ますね。
(写真は、Googleのフリー写真より。)